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2011年9月26日 (月)

戦国武将・関ヶ原の合戦・湯浅五助・藤堂高刑・律儀者

知り合いの息子が夏休みの宿題をしていた。何をしているのかと思ったら戦国武将のレポートだ。
中学一年生でこんな事をやっているのかと、チョッと驚いた。
誰にしようかと迷うと思うが、思いもかけない名前が出て来た。知り合いの名前が藤堂だ!
どうも藤堂高虎と関係があるようだ。それで祖父に勧められたようだ。
よく調べている。今はインターネットで簡単に調べれる。
二郎余話で紹介したように、藤堂高虎の内容は調べていた。
詳しく調べているので感心しました。
藤堂高虎は好きではないと、何度も記述している。

この話は司馬遼太郎 「関ヶ原」 に出ていて知った話だ。
大谷吉継と言う武将がいる。石田三成の盟友であり関ヶ原の合戦にも出陣した。
最後まで挙兵に反対したが、最後は石田三成に準じた!さわやかな生き方とも思える。
この大谷吉継はらい病を患い、顔がただれていて目も見えなくなっていた。
大谷吉継に最後まで付き添い、最後を見とった武将がいる。湯浅五助。
この最後に出会った武将が藤堂高虎の家中の藤堂高刑。
湯浅五助は頼んだ。主君のただれた首を見せないで欲しい。黙っていて欲しい。と言って討たれた。
藤堂高刑は約束を守った。

戦いが終わり、家康に戦勝祝いを言う為に武将たちが集まった。
その時大谷吉継はどうなったかと言う事になった。
家康が、湯浅五助が吉継の最後を見届けなかった訳は無い。打ち取った藤堂高刑に聞いてみようと言う事になった。
呼ばれた藤堂高刑は、知っているが言えない。湯浅五助の主人を思う約束は破れないと言って、喋らなかった。
「私は知らない事はないが、五助と他弁をしないと誓って首を取ったのでこのことはどなた様にも言えませぬ。どうぞ、私を御処分くだされ。」
家康は大物である。逆にほめた。
「これほどの律儀者がいるとはな。首のありかを言えば高虎の手柄になる物を」と言って褒美を高刑に与えたという。
高虎も後で褒めた!良い家臣がいたのだろう!
この話を知り合いの息子に教えた。
何か参考にしてくれたようだ!

 

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