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2011年10月17日 (月)

戦国武将・安田作兵衛・管槍・信長に一番槍をつけた男

新宮正春の 「作兵衛の管槍」 に出て来る。それで名前を知った。
昔、唐津城に行った。そこで作兵衛の管槍が展示してあった。
先日の斉藤利三の家臣である。信長に一番槍をつけていながらよく生き残れたと思う。
斉藤利三は探し出されたようだが・・・・・・・
それ程の知名度は無かったのかと、思ってしまう。

安田 国継(やすだ くにつぐ、弘治2年(1556年) - 慶長2年6月2日 (1597年7月16日))は、戦国時代から安土桃山時代にかけての武将。幼名、岩福。安田作兵衛の名で知られる。明智光秀配下の斎藤利三の家臣。美濃国安田村の住人。明智三羽烏の一人。本能寺の変では、先鋒として京都に進出。織田信長を槍で攻撃し、行く手を阻んだ森成利(蘭丸)に十文字槍で下腹を突かれた。最後は寺沢広高に仕え、8000石を有した。慶長2年(1597年)に死去。享年42。死んだ日は奇しくも織田信長の命日と同日であり、信長を刺した祟りと噂された。墓所は佐賀県唐津市浄泰寺。


墓が唐津にあるのは知らなかった。それで唐津城に槍が展示して訳が分かった。
一番槍にこだわったようだ。
それが自分の売りだったようだ。
立花宗茂に仕えていて、朝鮮で一番槍を逃して解雇?されたようだ。
やはり戦国武将の一人なんだろう!
偏屈さと勇猛さも兼ね備えていたのか?
単に粗暴なだけか?
信長と同じ日に死んだのは何の関係も無い。
みんな分かっているが結び付けたくなるが日本人か?
次から次に知っている好きな戦国武将が出て来る。
嬉しい限りだ!まだまだ連鎖的に出て来るだろう!

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