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2011年10月17日 (月)

戦国武将・明石全登・キリシタン大名

この武将も気にいっている!
先日の 「乱世が好き」 に出て来ている。毛利との戦いで、岡山の宇喜多直家のとろでだ!
出て来ると嬉しい名前だ!
特に興味を感じたのは、新宮正春の小説によってだ。
良く出て来る。なっかなか良い役だと思う。
大阪に陣で行方不明となったのが作者の想像力を高めるのか?
黒幕的な感じで出て来るが、出て来るとホッとする。
名前は「たけのり」 と思っていた。が色々あるようだ。
てるずみ・たけのり・ぜんとう・なりとよ、と読めるそうだ。

関ヶ原の合戦では、小早川秀秋が裏切るまでは、福島正則相手に押し気味だったようだ。
裏切られた時、主君宇喜多秀家を落とし、自身も戦場から逃れたようだ!
小説では、その後の陰謀的な話にはよく出て来る。
特に新宮正春の世界には出て来る。
こちらも出て来るのに期待しているところがあった。


保木城主明石景親の子として生まれる。備前明石氏(美作明石氏)の出身で、明石国造の末裔という説もある。
宇喜多秀家の軍師的存在で、慶長4年(1599年)にお家騒動が起こって重臣の多くが出奔すると、執政として宇喜多家中を取り仕切った。
翌慶長5年(1600年)9月15日の関ヶ原の戦いで秀家が西軍に与すると、宇喜多勢8,000名を率いて先鋒を努め、福島正則を相手に善戦した。


戦後、宇喜多氏が没落し浪人となると、キリシタン大名であり、母が明石一族である黒田孝高の下で庇護されたといわれている。孝高の死後、息子の長政がキリスト教を禁止したため、柳川藩の田中忠政を頼ったとされている。
慶長19年(1614年)、大坂の陣が起こると豊臣方として参陣する。翌慶長20年(1615年)の夏の陣では伊達隊と交戦、同士討ち事件が起きている。天王寺・岡山の戦いで、天王寺口の友軍が壊滅したことを知ると、松平忠直の軍勢に突撃し、姿を消す。その後の消息は不明で、戦死したとも、南蛮に逃亡したとも言われており、死亡時期については諸説ある。
国際連合の明石康は同地の明石一族の出身で全登の子孫と伝えられている。

 

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