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2012年3月21日 (水)

戦国武将・佐久間信盛・(追放された司令官)

谷口克広の信長関係の本をよく読んでいる。佐久間信盛の名前は良く出て来る。
この武将の本当の力はどうだったのかと思う?
名前はやはり司馬遼太郎により知ったと言えるだろう。
新田次郎の本、武田勝頼とか長篠の戦い関係の本には良く出て来る。
弱い武将だ。相手をおびき出す餌とか、武田を騙したとかの話があった。

信長が檻状を書いている。書きながら昔の恨み?を思い出す。
朝倉追撃でヘマをした部下たちを叱るが、佐久間信盛は言う。
「そうはおっしゃても、私たちほどの家臣はなかなか持てないものです」
良く言った!が相手が悪かった!
執念深い信長だ。
佐久間信盛については色々評価があるが、
この信長に対する返答からは、危険予知が出来ていない!
相手が信長なのだから、いかに自分に力があると思っても自重すべきではないか?と思ってしまう!

丹羽長秀、序列で言えば佐久間信盛に次ぐ。
柴田勝家に次ぐNo2とは言えそれ程重要視はされていなかったようだ!
「かかれ柴田に退き佐久間 米五郎左に木綿藤吉」
五郎左は米の様に必要な丹羽長秀と言われていた。良く書かれている。
佐久間信盛は退却が上手い?
どんな退却戦をしたのだろうか?
知られていないだけか?
本願寺攻めでは7カ国のが配下に入っていた。
長い戦いだった。多数の軍勢を率いている。
信長から見れば、後に残せば信忠がやりにくくなるからか?
追放され、一年経ったぐらいで死亡した様だ。
歴史に名をとどめただけ良かったのか?

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