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2012年3月20日 (火)

本・「負け組」の戦国史・鈴木 眞哉

織田から豊臣、そして徳川へと天下人がまめぐるしく入れ替わった戦国時代、数多の大名や武将が歴史の表舞台から姿を消していった。覇権争いに敗れた各地の戦国大名から、鎌倉以来の守護大名、公家出身の国司、足利将軍家、そして、天下人に繋がりながら敗者となった人々まで、さまざまなタイプの戦国「負け組」の軌跡をたどり、彼らの敗因を探る。

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負け組とは何なのか?
著者自身も記述していると思うが、たまたまそうなったとも言えるのではないか?
応仁の乱で入れ替わったと言う。 「日本全体の身代の入れ替わり」 があったと言われている。
戦国の負け組の総チェックをしている。

足利将軍・地位・立場毎に見た負け組。その組織(管領・四職・三国司・守護・守護大名等)

①織田政権の負け組
②豊臣政権の負け組
③勝ち組の・内部の天下争い
④関ヶ原での決着

家を潰したから負けとは決まらない。
また名前が出て来るが、藤堂高虎は勝ち組みなのか?
著者も記述しているが、現在の感覚で、歴史を知っているからといって判断するのはおかしい。
敗者復活もあれば色々ある。
敗者と言っても評価が高くなっている、畏敬された敗者もいる。
嶋左近・大谷吉継・真田幸村をあげている。
これに直江山城守もはいるのか?
石田三成も、あれだけの仕事をしたのだから満足だろう。負け組とは思えないし、思わない!
松永弾正も、あれだけ好きな事をやったし、そこそこの年まで生きれたのだから満足して死ねただろう。
明智光秀も一時的には、三日天下とはいえ天下人になった。
最近の文献ではそれなりの手はうっていたと言われている。
たまたま秀吉の信じられないツキによっておかしくなったようだ!
こう言う例を著者は沢山あげている。

逆に私めが負けと思うのは、
織田信長に追い出された佐久間信盛。相手が悪かったとはいえちょっと自信過剰なのではなかったか!
信長に逆らった武将。荒木村重なんか負け組ではないか!
徳川幕府から大政奉還までの間に取りつぶしにあった藩は、240家になるそうだ。
これは負け組みなのか?
堺屋太一が記述していたが、二代目で家を残せたら成功ではないかと!
その例として上杉景勝・毛利輝元をあげていた。
両者とも120万石を30万石に減らしたとはいえ、家は残した。

著者がいう、結果論で判断してはいけないと言う事に尽きるのではないか!

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鈴木眞哉

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