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2012年4月 1日 (日)

戦国武将・北城高広・(越後の名将)

井口 朝生著、狼火と旗と (1961年) を読んだのは大分前だった。
当然?古本屋で見つけた本だった。
直江山城守の話だった。
それまでは司馬遼太郎、関ヶ原でしか知らなかった。直江を主人公にした本としては初めて読んだ本だ!
この中で北城高広が出ていた。
直江の口から名将と言うことで出ていた。
初めは、ほうじょうと思っていた。
きたじょうだとは知らなかった!
その時から名前は知っていた。

御館の乱で景虎についた事も知っていた。
事実は分からないが、謙信にも背いたとある。
これは文献の誤読との話もある。
謙信より関東方面の政治や軍事を任されたのであり、高広が武将として優れていたようだ!
御館の乱では、子の景広と共に上杉景虎を支持して上杉景勝と戦うが、北条城などを落とされ、景広は戦死し、自身は武田勝頼のもとへ走った。
武田氏の滅亡後、北条高広は滝川一益に仕え、一益の没落後は北条氏に服属する。
その後没落したとある。

安芸の毛利と同族!
大江広元が祖先であり、名前に広の字を用いる。
誇り高かったのだろう!
なまじ実力があるだけに問題も多かったのではないか?
治めた場所も悪かったのか?
御館の乱では領地と離れ過ぎていた。
単独で景広を雪の為少数の兵で御館に送ったが、態勢をひっくり返すことは出来なかったようだ!
興味ある武将の1人である。

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