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2012年12月15日 (土)

源平興亡三百年・中丸満

源氏と平氏―二つの武家はどのように台頭し、そして相争うことになったのか?源平それぞれの源流を追い、その後の数多の合戦と無数の陰謀に彩られた死闘を描き出す。平将門、源義家、平清盛、源頼朝、平知盛、源実朝など、源平の群像の活躍を通じて、その三百年に及ぶ激動の歴史が浮かび上がる。

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源平合戦、源源合戦、平平合戦。
完全に源平に分かれていたわけではなく、同族で争っていた。
歴史をならった時は、桓武平氏、清和源氏と、各々一人の天皇から生まれたと思っていた。
今はもっと知っている。桓武平氏はその通りで、源氏はもっと沢山の天皇の臣籍降下だと。
源氏は嵯峨天皇の子供の臣籍降下から源氏姓が始まった。
嵯峨天皇は50人の子供があったようだ。その内32人に源氏の名前を与えたようだ。
要は、口減らしだったようだ。
臣籍降下の場合、基本的には源氏姓のようだ。
天皇の名前が上にくる。
宇多源氏、村上源氏、仁明源氏・・・・・・・・・

坂東平氏、関東は源氏の本拠地かと思ったがそうではない。
平氏が沢山いる。
千葉、三浦、大庭、梶原等の豪族が平氏である。
それらが頼朝を立てた。
何も源氏がまとまって平氏を打倒した訳ではない。
その場その場での状況に応じて、自家の勢力の保存を図ったようだ。
それぞれの成り立ちがある。
東北で苦労した源頼義、義家親子。
平将門も同族の争いに敗れたようだ。
平忠常の乱。
人間関係が複雑である。
陰謀、裏切り、暗殺、密告いろいろある。
読んでいて色々あると感心する。
清盛と義朝の争いは小学生の時から知っている。
源氏の方が武芸に秀いている。
悪源太義平、鎮西八郎為朝の話には、子供ながら興奮したのを覚えている。
名前からして豪傑だ!

「アナタコナタする清盛」
八方美人と言えるほど気を使っていたようだ。
承久の乱までの歴史が記述されている。
面白い本でした!

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