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2013年9月11日 (水)

山本勘助・平山 優

稀代の軍師の業績を日本で初めて完全再現!武田信玄の軍師として名高い山本勘助は実在しなかった実在していてもさほどの人物ではなかった、との定説に挑み、資料「甲陽軍鑑」を再評価し勘助の実像を明かす。

20130911_book1_2

ブックオフで買ったが、著者のサイン本のようだ。これは嬉しい!
一人喜んでいる感じ。他はしらっとしているが・・・・・・・
山本勘助を検索してみても沢山の本がある。あり過ぎるぐらいある!
自分も思うが、軍師なんて信玄ほどの武将に必要だったのか?
戦国時代である。自分で決めなければならない。いちいち軍師に聞いてきめるなんて出来たのか?
織田信長、上杉謙信に軍師は必要だったのか?
いらなかったのではないか?
竹中半兵衛、黒田官兵衛も知恵者ではあるが、秀吉に作戦を指示なんてできない。
アドバイスなのではないか?
徳川家康も謀臣(本多正信)はいたし必要だったんだろうが、軍師なんて必要だったのだろうか?
軍配者は必要なのは分かる気がする。
よく言われるように、縁起を担ぐ。出陣の日を決めたりすのはなんとなく理解できる。
日本人は軍師が好きだ!チョッと異常ではないかとおもうぐらい・・・・・
それが帝国陸軍の参謀の勝手な行動に繋がっているのではないのかと思う!
甲陽軍鑑から読み解く。
これは非常に分かり易く、理論だっている。
兵法者の説明もある。
どう言う人物かの推理?も納得できる。
ただ片目で足が不自由とあるが、これは話と合わない感じがする。

著者の解説がある。
戸石合戦での大活躍とある。本陣に行き信玄に進言する。
ここから南へ敵をそらす為に自ら動く。550mとある。
再び本陣に戻り、戦う。
それから別のところに行き戦い戦い、様子を見てから又別のところに行く。
一連の勘助の活躍により勝利し、実力を認められたと言う。
分からなくはないが、はたして足が不自由、言葉は悪いがチンバでそこまで戦場を動けるのだろうか?
まして戦場である。
現在の知識で過去を判断してはいけないが、納得しがたい!
築城の名手と言うのは、間違いないようだが、そんな先駆者なのか?
チョッといいように記述しすぎと感じた。
陣形の種類。人の扱い。領国の治め方。
いろいろ記述されていて大変面白い。

蛇足気味の話がある。
風林火山」では、諏訪御寮人に由布姫と名付けた。
井上靖が、この小説を湯布院で書いていて、湯布・・・・由布姫としたとある。
面白い。
新田次郎は、湖衣姫と名付けた。諏訪湖の湖と衣之渡川の衣をつけて湖衣姫としたようだ!

気の判断!
兵気が漲っていると言う言葉はよく聞く。
勘助流の判断があるみたいだが、これはどうかなと?
無いとは言わない!
それこそ気配はあると思う!
となれば戦死したと言う川中島の合戦はどうなるのか?
逆に謙信に見透かされたのではなかったのか?

これも関係ないが、司馬遼太郎、覇王の家がある。
小牧長久手の戦いで、徳川家康の軍勢を見た蒲生氏郷が言う。
「なるほど兵気はさかんである。が軍容に照り映えがない!」
秩序だってはいるが、泥臭さがあると解説があった。
見る人間が見れば、分かる事はあると思うが・・・・・

最後に著者は、山本勘助を書くことを、まわりから反対されたと言う!
歴史学においては際物扱いされていると言う。
真剣に検討すべき対象ではないと言う事らしい。

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