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2013年11月29日 (金)

本当は間違いばかりの「戦国史の常識」・八幡 和郎

鎖国で引きこもり戦国時代のエピソードは、しっかりした史実の検証がなされないまま、江戸時代あたりに成立した“通説”が今なお無反省に語られているケースが少なくない。また、小説家などによってフィクションまがいの“奇説”が唱えられ、それがあたかも歴史的事実として受け入れられている。本書は戦国史の誤解を見直し、ヒーローたちの真実を骨太に明らかにする画期的な戦国史。

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著者はこう言う本が多いと思う。内容は下記の通り。
戦国時代、日本は世界の最先端だった
①室町時代は冴えない時代ではない
②平清盛をお手本にした織田信長
③ナポレオンの先駆者だった豊臣秀吉
④日本を儒教の国にした家康・心の闇
⑤信玄や謙信の石高は百万石もなかった
⑥信長より前に上洛した大内・三好の末路
⑦大航海時代の主役になれず

よく記述されているが、後世の歴史の結果を知っている人が、分かったような事を言っても仕方がない。
その時代にい無ければ、考えは分からないと思う。
よく分かっと思う事は下記の通りである。

太閤検地。
薩摩の島津家の話がある。
この頃は、まだ島津も権力を集中できていないところがある。
肝付氏との内乱もある。
臣下と言っても力のある土豪が多い。検地も出来ずに言いなりの負担しか求められなかった。
石田三成が検地を徹底的に実行して、石高を決めた。
22万5千石から56万石強になった。
土豪たちは、検地で増えた石高で無く、前の少ない石高で新しい領地に移し替えられた。
徳川の大名の鉢植えみたいなものなのか?
国替えもメリットはあったのか?
家康自身、関東に移された時、「三河を失うのは悲しい?」
家臣の石高を上手く調整したと言う。
非常に分かり易い話と思った。
その家康の話が記述されている。
臆病だったと!
堅実と言うか冒険を嫌ったようだ!
息子信康も信長が無理に殺させた言うのも無理がある。

信長に反抗した浅井長政。
時代を読めば、家康と並んで信長の片腕になったのではないか?
そうすれば秀吉は?

著者が面白い事を記述している。
バルブ経済がはじけた時、褒められたのは石橋を叩いても渡らない経営者だった。
人は時代の気分に流されやすい!
「人の行く裏に道あり花の山」
千利休の言葉と言われる。

太田道灌の逸話。
にわか雨に会い、農家で蓑を借りようとしたら、若い娘に、「一輪の山吹を差し出された」
意味が分からず、自身の教養の無さを恥じて、和歌に励んだと言う。
『七重八重 花は咲けど 山吹の実の一つだに 無きぞ悲しき』
実のと蓑をかけたと言う。要は無いので貸せないと言う事だろう!
言っちゃ悪いが、そんなこと今の時代分かる方が異常だ!

上杉謙信は、物流でも稼いでいた。石高以上の実力はあったと言う。
石高だけでは割り切れないと思うか・・・・・

沖縄は明に朝貢していた。理由は儲かるからである。
著者は否定はしていない。当然だと思うが・・・・
「万国津梁」と言う。
世界のかけ橋。ハブ港になる。
ただし朝貢していたので、、新しく琉球王となる世子は、中国皇帝の使者を、土下座して迎える。
そこが守礼門と言う。
扁額に 「守禮之邦」 と書かれている。
琉球は礼節を重んじる国と言う意味だそうだ。
著者はこれを、恥知らずなウソと言う!
そりゃ沖縄も中国領土と言われるネタを巻いている感じがする。

色々面白い話が多い。うなずける話がほとんである!

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