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2014年7月16日 (水)

本・街道をゆく4『丹波篠山街道・光秀の反乱』・司馬遼太郎

20140716_book1_2

この本の中に亀岡城が出て来る。
亀岡城から老いの坂、本能寺へと続く!
この最初の挿絵の地図が良い!
亀岡城、老いの坂、長岡京市が描かれている。
光秀が本能寺に向かった夜は月が無かったと言う。
当時の路は狭く、1万3千の兵を進ませるのは苦労したと思う。

亀岡城の話がある。
光秀はすぐれた民政家と言う。
丹波に善政をひいた。
初代城主が光秀で、350年余年後にもう一度謀叛人を出す。
謀叛人と言ったら問題になるか!
出口王仁三郎の大本教がある。
亀岡城の土地を買って整備した。
城主ではないがこのを本拠地とした!
平沼騏一郎と言う検事総長がいる。
単なる官僚でなく、思想右翼の団体、国本社の総師である。
誰でもおかしいと思う。
後に首相になり、独ソ不可侵条約を結ばれ、ヨーロッパは奇々怪々と言って内閣を投げ出した。
著者言う、能力が無いが、能力が無くても権力を握れば弾圧は出来る。
この平沼騏一郎が良い例と言う!
国家主義国家というものは、民衆を動かす強力な民間団体を喜ばない。
そうして些細な事で弾圧した。

丹波は今日に近い。
その気になれば光秀のように京に兵を進めれる。
徳川幕府は丹波に力のある領主を置かなかった。
亀岡城に譜代大名を置き、後は小領主にした。
大本教も亀岡で、天下何するものぞと言う気分がおこった?
との著者の解説がある。

「本能寺の変」はやはり愚挙であると!
成功しても織田の諸将の目標になるだけと言う。
人の為に天下を用意したようなものと言う。
実際に秀吉がそうする。
現在から見れば柴田勝家、徳川家康が候補だろう。
滝川一益、丹羽長秀は脱落したのか・・・・・・

老いの坂を京に向かってくだることで飛躍した光秀の心情は、文学的課題と言うより精神的課題と言うべきものであると、著者は言う。

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