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2014年8月 5日 (火)

美濃・大垣城 関ヶ原の合戦のど真ん中の城

大垣城、関ヶ原で重要な役割を果たした城である。
1500年ごろの築城と言われる。
1945年まで天守閣が残っていた。
が空襲で焼けた。
が写真が残っているので、同じ城として再建されたようだ。
但し鉄筋コンクリート製である。
支配者は変わった。
織田・斉藤・織田と変わり、池田恒興・一柳直末・伊藤祐盛変わり天守閣が造られた。

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関ヶ原の合戦時、伊東盛宗が城主で去就に迷った。
秤にかけた。が迷う。勝つ方に付きたい。
まず三成に居城を明け渡すように求められる。
どうするか?
一度要求を蹴る!そうすれば家康に言い訳が経つ!
ちょっとずるいと思うが・・・・・
蹴ったら再度交渉来るよみが外れた。
三成は敵と思って攻撃して来た。
「まずい!」
この辺り三成も融通が利かないようだ。
結局大垣城を明け渡す。
三成はこの城に信頼できる諸将を置いた。最も少録の大名達だが・・・・・・
結局伊東盛宗は改易される。 

20140805_2_7
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1635年に戸田氏鉄が入城して幕末になる。
この戸田氏鉄の像があった。
ネームバリューはあまりないと思うが・・・・・・
島原の乱にも出陣している。
美濃大垣は10万石で入城している。
それなりに評価されているのだろう。

20140805_2_4
戸田氏鉄の像

城は悪くない城と思う。4層4階の天守が再建されている。
が街中の城である。狭い!
もっと余裕が欲しい!

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