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2014年8月26日 (火)

本・吉川元春―毛利を支えた勇将・浜野卓也

三万の秀吉軍と相対した五千名の元春軍は、にわかに川の橋板をはずし、船を陸にあげ始めた。「なんと元春め、自ら退路を断つ気か。このような敵と戦っては、味方の被害は計り知れぬ」秀吉はたまらず姫路へと兵を引き揚げた。―父・元就を補佐して中国を平定、弟の小早川隆景とともに「毛利の両川」と称賛された吉川元春。天下取りの愚を避け、毛利の領国を守り抜いた賢明なる武将の生涯。

20140826_book1

毛利の両川の一人、元春の小説はあまりない。
戦国時代の名将の一人である。
もっとも秀吉から見れば、田舎者になるかもしれないが・・・・・・
最初は秀吉の九州攻めに参加させられた元春を官兵衛が訪ねる。
かって織田の対毛利軍の司令官、秀吉の参謀、官兵衛と戦った仲である。
ここで元春は病気で死ぬ。

元春は山陰の名門、吉川家に養子として入った。
おもに山陰方面を納めている。
あまり目立たないが、戦歴は豊富であり、負けを知らない。
鳥取城への援軍で、5千の兵で3万の秀吉と対戦した。
死を覚悟して陣を構える。損害を恐れて秀吉が引き上げたと言う。
秀吉が恐れたと言うのは考えにくい。
元春を認めていたとはいえ、ここで勝っても損害が多ければ何を言われるのか?
それを恐れて対戦を避けたのだろう。

妻はと不美人と言われる、熊谷信直の娘を選ぶ。
勇猛で知られる熊谷信直の勢力を味方につけるための政略結婚であったと言われている。
「元春が娶れば信直は喜び、元春のために命がけで尽くすだろう」
そういう計算が出来る武将であったようだ。
側室は置かなかった。
子供には恵まれる。
関ヶ原合戦時、三男広家は本家の毛利を救ったとされる。

毛利も対九州大友との戦いがあり、織田と戦うようになる。
織田と戦う事により、元春の名もあがる。
備中高松城攻防戦。
和議がなったが、本能寺の変を知らない。
騙されたと思った元春は、秀吉追撃を主張したと思っている。
隆景は静かに引き上げたほうが良いと思っている。
織田家の跡目争いに、好んで参加する必要はない。

司馬遼太郎、播磨灘物語では、追撃の準備をしている元春を抑える為に、
隆景はドンチャン騒ぎをして元春を抑えようとする。
これで元春は追撃を諦める。
この本では、元春もドンチャン騒ぎをして追撃を抑えている。
これは有り得ないのでは?
隆景がドンチャン騒ぎをしたのは、元春の追撃を恐れたと思うが・・・・・
そうでなければ、元春・隆景の意見が一致していたのなら何もしなくてよいはず!
主人公を良く記述し過ぎではないか????

父元就に従い戦う。
隆景をたてる。
毛利と秀吉と戦野で戦いたい。
がその機会は無かったようだ。あっても秀吉が避けただろう・・・・・
秀吉に九州出陣を命令され、拒むが毛利の為に出陣する。
官兵衛が説得したとある?????
最後は病気で死んだと信じたい!
長男、元長も九州で病気で死ぬ。

志道広良。
「水あっての船、家来あってこその君主」
「君は船、臣は水」(家臣は水であり、その水が無いと船は浮かばない。また、水は簡単に船をひっくり返す。
だから君臣の関係は大切にしなければならない)
毛利隆元にそう言って教育した話は知っている。
この本では、元春にも言っているようだ。

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