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2014年8月 3日 (日)

尾張・清須城「清州城」・清須会議の舞台・・・・・・

少し遠出をした。尾張である。神戸から200kmはある。
いよいよ清須?と清州?に行く。
今の城は清州城となっている。
清須会議である。

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住所で言えば、清須市朝日城屋敷1番地1である。
地域や城郭の名称として表記する際「清洲」を使う場合と「清須」を使う場合がある。
信長公記では「清州」、三河物語では「清須」記載されている。
伊勢神宮領を記録した14世紀中頃の『神鳳鈔(じんぽうしょう)』に「清須御厨」として記載されているのが最古の記載としているが諸説あるようだ。
どちらも正しいと言う!
と言うより間違っていないと言う事か!

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築城は室町時代の1405年で尾張守護職斯波義重が下津城の別郭として建てられた。
尾張の中心となり栄える。
1555年信長が入城する。
信長は桶狭間の戦いに勝ち、清須から天下へ踏み出す。
本能寺の変後、清須会議で織田信雄が城主となり改修する。
東西1.6kmの南北2.8kmの巨大な郭域の中に、あらゆる城下町の機能を備えた城塞都市として過去最大の規模になる。

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信雄から、秀次、福島正則、松平忠吉、徳川義直と変わる。
福島正則の城主時代に、関ヶ原の合戦が起こる。
1610年に、家康が清須城廃城と名古屋城築城を命じる。
ここで天下の名城とされた清須城は消える。
今で言うところの県庁の移転みたいなものか?
「清須越え」と言われる移転を行った。

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平成元年(1889年)清州城として再建される。
説明にあったが、日本古来の城郭様式を随所に取り入れている。
つまり各地の城の良いところを取り入れて造ったようだ。
はっきり言えば中途半端な城と言う事と思うが・・・・・・

映画清須会議では小じんまりとした城だった。
コンクリート製が気に入らないので好きな城ではない。
川の橋を渡って清須城に行く。

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この橋がコンクリート製である。
もっと凝って欲しかったが・・・・・・・
天主閣があり、公園があり、信長と濃姫の像もある。
渡る橋のところに石垣があった。
発掘調査で出て来たと思う。

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面白い事に気が付いた。
天守に金の鯱があった。多分間違いない。
何となく面白かった・・・・・・
いろいろ考える事が出来る施設ではある。

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