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2014年9月24日 (水)

本・島津義久―勝ち残りの戦略・白石一郎

軍師官兵衛で、秀吉の九州攻めがある。
官兵衛は秀吉の名代で出陣している。
九州統一を目の前にしている島津である。
当主は島津義久、弟に義弘、歳久、家久がいる。
兄弟協力して義久を助ける。
薩摩軍法がある。
一、       一人も敵を殺したる証拠なきものは死罪、その父子親族は重罪に処せらるることあるべし。
一、 わが隊将の首級を敵に委すべからず。この仇を報ずるあたわざる時は一隊ことごとく討ち死にせよ。

滝口康彦の連作集に、薩摩軍法があり、その意味が分かった。
そりゃ強いと思う!

祖父日新斎の評価がある。
『三州の総大将たる材徳、おのずからそなわっておる』
家康の評価がある。
『自ら働かず、人を動かすのが大将である。その点島津義久に及ぶ者は無い』
表だって何もしないと言う事の、皮肉か???

島津義弘:摩利支天の再来と言われた。
島津歳久:始終の利害を察する智計が並びない。
島津家久:戦法戦術の妙を得ている。

弟達に恵まれる。
大隅の豪族、肝属氏を制圧し薩摩北部の菱刈氏を討伐する。
そうして薩摩・大隅・日向を制圧して、九州全土の制圧に向かう。
大友、竜造寺を圧迫する。大友は秀吉に泣きつく。
制圧直前に、秀吉の命を受ける。
が拒否して最後の仕上げが、大友氏の豊後討ち入りになる。
四国長宗我部と同様に、ほぼ九州を制圧しているのに薩摩・大隅・日向にひっこめない。
家中が納得しない。
秀吉の出自を言う。いやしい出であると!
これに異を唱えたのが、三男歳久。
「出生はともあれ今は関白である。ましてや秀吉は無類の戦上手と聞く。関白の命には服すべきであろう」
どうも臆病者とまで言われたようだ。
この時の義久は冴えが無かったようだ。
家臣に、とにかく愚慮であると言われたようだ。
何か予感がしたとも言う。
早々と降伏する。
が歳久は納得いかない。
臆病者とののしった連中が早々に降伏する。
戦うべきだと!
こう言う人は、好きだ!
威勢の良い事ばかり言っている連中にろくな奴はいない!

歳久は降伏を認めず、秀吉の元にも行かなかった。
ここで、梅北国兼の乱?
あまりにもお粗末な反乱である。
アホとしか言いようがない。
この辺りは、『滝口康彦 秋雨の首』が詳しかった。
ともあれ歳久は首を討たれる。
家久も死に、義久と義弘の二人になる。
この関係は、『山田昌之 嫉妬の世界史』に詳しい。


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