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2014年12月20日 (土)

関ヶ原の合戦(28) 吉川広家陣跡

吉川広家陣跡
この吉川広家の陣で気が付いた。
自治体の温度差を!!! ここまではと言うと、吉川広家の前までは、「関ヶ原町」である。
その中にある史跡はきっちりしている。
史跡の地図もあり、史跡には旗竿もはためいている。
分かり易い!

がここからは、「不破郡垂井町」である。
ここは竹中半兵衛で売っている!
何が言いたいかと言うと、陣跡の石碑が無いし、旗竿も無い!
案内板があるだけである。
寂しく・・・・・・・・
余程好きな人でなければ行かないのか??
「歴史と自然の町」
もう少し手をかけて欲しいが・・・・・・

20140923_kikkawa_1

不破高校の横にある。
そこへ行く標識も無い。

関ヶ原の合戦では、この陣の後ろに毛利秀元が陣を構える。
安国寺恵瓊もいる。
長束正家、長曽我部盛親もいる。
皆毛利の動向を見ている。
が広家が兵を動かさない。
幾度となる催促に、弁当を食べている!「宰相殿の空弁当」
広家は信じていたのだろう・・・・・・・
兵を動かさないことが毛利の為だと!
恵瓊の言う通りやれば毛利は滅びると!

20140923_kikkawa_2

合戦前から黒田長政を通じて家康に毛利本家の存続を求めた。
西軍の総大将は担ぎ出されたもので、輝元の本意ではない!
誓紙もある。
が本多忠勝、井伊直政のもので家康の物は無い。
結局毛利は改易となり、長門・周防の2か国は広家に与えられる。
広家は必死に毛利本家の存続を求め、岩国3万石を与えられるが、家臣扱いである。
関ヶ原の合戦時、毛利秀元は実際に関ヶ原にいた。
もし毛利の大軍が家康に襲いかかればどうなっていたか???
その思いが強いだけに、広家への当りは強かったようだ!
広家は甘んじて本家の処遇を受けたと言う!

幕末に吉川家は、幕府との交渉を行い、本家を助けたと言う!
広家も満足か?
広家の広は、偉大な先祖、大江広元の広を貰ったようだ!

20140923_kikkawa_3

司馬遼太郎によれば、好き嫌いを表に出さない秀吉が、あからさまに嫌ったようだとの記述があった。
癇が強かったようだ!!!
殿中で浅野長政と殴り合いの喧嘩をしたようだ!
関ヶ原では、父では無く、叔父、小早川隆景の感覚で対応したと言う!

計数に明るい石田三成が言う。
家康が毛利をそのままにする訳は無い!
潰さなければ恩賞として与える土地が無い!
当たっていたようだ!!!

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