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2016年6月11日 (土)

本・覇王の家(石川数正とは?)・司馬遼太郎

司馬遼太郎の家康である。
初めて読んだのは20歳過ぎか??
あまり面白くなかった。
人間が出来ていない。
が40代で読み返した時、メチャメチャ面白かった!
その中で、石川数正の記述がある。
これが、一番数正を表していると思う!!

石川数正は真田丸にも登場している。
徳川譜代でありながら秀吉に走った。
信繫を責める場面もある!
秀吉は他家の家臣の引き抜きを良くやっている。
失敗したのも多いが、成功した例も多い。
的確に家中の状況を判断していて、不満を持っている家臣に眼を付ける。
直江兼続にも手を出した。
わりと扱いが大きい!
理由がある??

家康には四天王がいる。
酒井忠次、本多忠勝、井伊直政、榊原康正。
元は二老制である。東三河は酒井忠次、西三河は石川数正である。
外交も担当する。
当然外交も酒井忠次は北条を、石川数正は秀吉を担当する。
良く言われるが、西と東では風土が違う。
経済も進んでいる西国と、農業中心の東国では交渉の方法も全然違う!!

石川家は安城以来と言う。
数正から六代前に家康に仕え、数正の祖父の時代に源氏の末と称した。
家康が駿府へ人質に出された時も、話相手として同行している。
家康の信頼も厚い!!
戦えば10度に9度は勝つ!
外交感覚もある。
が人間の洞察力に欠けていたのではないかと思うが………

賤ヶ岳の戦いで秀吉が勝った。
とりあえず家康は、秀吉の勝利の祝うために数正を派遣する。
肩衝茶入「初花」を贈る。
この辺りから秀吉の家康に対する外交が始まる。
担当は数正である。
それだけの能力はある。
天下は秀吉の物に成りつつある!そう言う認識がある!
秀吉は数正を歓迎する!
大げさに喜んでであろう………

三河者は頑固である!
家康に忠実であり世間が見えない。
秀吉のまわりは、元同僚がほとんどである。
譜代は多くない!
出来る弟秀長がいる。軍師官兵衛もいが………

清州会議で信長の息子は冷遇された。
信孝は柴田勝家に担がれ死ぬ。
残った信雄がいる。
これが問題になる。

家康は北条と同盟している。
が北条は自国の事にしか関心がない??
面白い話がある。
家康は北条に気を使っている。
「キング・オレンジ」と言う柑橘類が手に入った。
珍しい物である。
これを北条に送る。
北条は、「橙」と思った。
浜松では「橙」が珍しいのか??
家康がわざわざ送って来た事の意味を考えない。
世間知らずと言うか、諸国の情報を集めていない。
京あたりで流行っているのだと知らない。
それより浜松では「橙」が珍しいのかと思い、家康に「橙」を贈ったようだ。
末期症状である!!

織田信雄が家康との同盟の復活を求める。
秀吉がデマを広げる。
信雄を秀吉が殺そうとしている。
挑発している。
家康も緩衝地帯にいる信雄107万石が消えれば困る!
ドイツとロシアの間の国みたいなものなのか??

小牧長久手の戦いが起こる。
秀吉も煽っているようだ!
家康は各地に同盟者を集める。
佐々成政もそうである。
この戦いで秀吉は数正を引きれようとする。

秀吉が言う。
「伯耆の馬標のもごとさよ」
そして「石川伯耆の金の馬標がほしい」
さまざまに数正を持ち上げる!
金子も与えられるがこれは返却する。
伯耆は秀吉に調略されていると見られる!

数正は数正で三河者に対して思う。
「瓜は食え、食って見てから言え!」
秀吉と付き合ってみてから言えと!

秀吉は先に信雄と講和する。
家康に戦う理由が無くなる。
またもや使者は数正である。
この時、養子(人質)を出せと言われる。
後の秀康である!
数正は家康に確認すべきであった。
がそれぐらいの権限は貰っていると思っている!
家中では色々言われる。
戦いは家康が勝っている。
が長期になれば負ける認識が、家康・数正にはある。
が他の三河者は納得しない。
家康にはそれが分かる。
なのではっきり言わない!
数正が動く!
自分の息子も人質として同行させる。
康長、康勝、康次と名前に康が付いている。
家康の康を貰っているのか??
それならやはり家康には臣従している。

小牧長久手の戦いの後、その1年後に三河を出る。
出奔するに当たり何人か誘っている。
小笠原貞慶、水野忠重は誘いに乗った。
陪臣では無く、家康と同格の大名になれる。
ただ松平家乗が拒否した。
これが数正の出奔を早めた。
急な事で、堂々たる退出では無かったようだ!
出奔により、家康は徳川の軍法を変えなければならなかった。

数正は信濃松本で10万石の大名になる。
のちに石川康長の娘が大久保長安の息子に嫁いでいた為に、
長安失脚時(長安の死後)に改易される。
本多親子の策謀とも言われているが………
家康と言うか徳川の意図なのか?
両人ともなのか、弟康勝だけなのかは分からないが、
康勝は大阪の陣で真田の配下として死んでいる。
真田とは縁があるのか??
それで数正の扱いがそこそこ大きかったのだろう………

秀吉傘下になった時、徳川の重臣、井伊直政が来た時に酒席の相伴人にしたようだ。
直政は口もきかなかったようだ。
「あれに候数正と申す者は、譜代重恩の主君にそむき参らせ、
殿下に従う臆病者でござれば、口もききたくなし」
秀吉も顔色を変えたようだ。
もっとも秀吉は家康の家臣の忠実さをうらやましく思ったのかも知れないが………

やはり司馬遼太郎は面白い!!

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