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2017年4月26日 (水)

本・九州戦国史と立花宗茂(2013/7)・三池純正

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関ヶ原合戦の敗将が、なぜ大名に復帰できたのか?戦国時代九州での激戦、朝鮮の役での奮闘と挫折、そして関ヶ原敗戦。秀吉と家康に器量を見込まれた武将の「不屈の復活劇」を活写する!
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昨年、官兵衛巡りの一環で、筑前岩屋城に行った
城跡の碑と、高橋紹運の墓がある。
2回行ったが、奥さんはしらっとしている。
「福岡の官兵衛(23) 筑前・岩屋城 高橋紹運玉砕の城 九州征伐の城」
に載せている。
この高橋紹運の息子が立花宗茂である。
この辺りは、滝口康彦・白石一郎の小説でよく読んでいる。
権謀術数、裏切りが当たり前の中で、この親子は裏切ることなく生きた。
落日の大友家を支える。
人材は何物にも代えがたい。
『日向 耳川の合戦』で島津に大敗した大友宗麟!
日向後家の言葉が残ったが、名だたる武将が戦死した。
これが後に響く!
いざと言う時に任せれる人がいない。
残っているのは、立花道雪・高橋紹運になる。
宗茂は長男でありながら立花家に養子に行く。
ここは女がてらに立花家の跡を継いでいる、誾千代がいる。
折り合いは良くなかったようだが・・・・・
自信を無くした大友宗麟は秀吉に助けを求める。
この時、大阪城を案内されその記録を残している。
これが良く当時の大阪城の様子を表していると言う。
その時に大友宗麟から、親子二人を秀吉の直参として欲しいと!
海音寺潮五郎が記述していたが、それは秀吉がねだったと!
たしかに他家の人物に手を出している。
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九州の戦国時代がある。
大友、島津、竜造寺と争う。
最終的には島津が九州を制覇する目前まで行く。
ここで秀吉の救援が来る。
越前岩屋城の戦いがあり、最終的に島津は敗北する。
秀吉は九州に来て、武勇を称賛し柳川に領土を与える。
小田原征伐に従軍したときは、秀吉は諸大名の前で宗茂を、
「東の本多忠勝、西の立花宗茂、東西無双」と評し、高く褒め称えた。
朝鮮半島攻めに用いようとしていたようだ。
実際朝鮮半島では活躍する。
秀吉が亡くなり、関ヶ原の合戦が始まる。
豊臣家の大名として西軍に参加する。
軍役も1300人でよいところを4000人も連れて来ている。
やる気十分だったのだろう・・・・・・・・
大津城攻防戦に参加し、西軍が敗れて九州に帰る。
大阪城籠城を主張したが相手にされない。
柳川で鍋島と戦い敗れる。
が、家康に許されるが、改易される。
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統虎、宗虎、正成、親成、政高、尚政、俊正、宗茂と名前を変えている。
何かあれば一から出直す意味で変えているのだろう・・・・・・
人柄なのか、秀忠から奥州南郷に1万石の領土を与えられる。
奇跡の復活を遂げる!
そして柳川に復帰できる。
徳川家に無害、反抗する意思はないと思われていたのかと思うが・・・・・・
そうして最後まで家康・秀忠・家光に仕える。
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福島正則の改易。
これにあわてる黒田長政。
肥後加藤家の改易。
宗茂は加藤清正には何かと面倒を見て貰っている。
家臣も預かって貰っている。
加藤家の改易の理由は、孫のいたずらなのか?
島原の乱にも参加する。
76歳で亡くなる。
誠実に生きた武将なんだろう・・・・・・
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