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2017年9月14日 (木)

本・奥羽争乱と東国源氏 清和源氏の全家系2(1988/11)・奥富 敬之

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あなたは何源氏か?日本人姓氏の多数派・清和源氏諸流の発生と系譜を、時代順・地方別に探る。八幡太郎義家と次弟義綱、三弟新羅三郎義光の系譜から甲斐武田、常陸佐竹氏等が派生し、武名いよいよ揚がる
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この章も読んでいて面白いが、疲れる!!
世の中みんな源氏に繋がるのか? 
著者は桓武平氏の全家系は書かなかった? 書けなかったんだろう………
内容は下記の通りである!
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序章 義家以前の系譜概観
一章 天第一の武勇の士
  一 武門の亀鏡   八幡太郎義家
  二 後三年の役   激闘につぐ激闘
  三 白河院政の黒い手 源家の苦難
二章 源家の内紛
  一 無惨族滅の族長         賀茂次郎義綱
  二 残忍酷薄の心なきもの      新羅三郎義光
  三 義光系の拡散          常陸の佐竹・近江の山本
三章 甲斐源氏の興隆と内紛
  一 甲斐武田党の成立        甲斐党の東海進出
  二 三者暗黙の陰謀         甲斐源氏に続発した事件
四章 甲斐源氏の地方分散
  一 安芸武田氏と若狭武田氏     武田党の西遷
  二 武田流の小笠原・南部・平賀三氏 武田党の西遷と北移
あとがき
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序章 義家以前の系譜概観
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清和源氏の治世は「貞観の治」と呼ばれるほど天下は太平であった。
清和天皇の第一子が陽成天皇で、「乱国の主」「悪君の極み」と呼ばれた。
結局清和源氏ではなく陽成源氏であるが、清和源氏と言う事にした?
清和天皇➡陽成天皇➡経基王➡満仲➡頼光➡頼信➡頼義➡義家➡義忠➡為義と続く!!
この頼義の系統は多い!
武田、一条、甘利、板垣、小笠原、三好、南部、佐竹、稲毛、安田らがある。
明智光秀も子孫と言う??
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一章 天第一の武勇の士
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八幡太郎義家である。 神がかりな武将である!
時代にほんろうされている??
「義家と言う男、将の器であるが、惜しいことに兵法を知らぬ」 と言われて、
大江匡房に、義家は礼を尽くして弟子入りを願い、兵書を学んだ!
後三年の役で、列をなして飛んでいる雁が列を乱したのを見て、伏兵の存在を察した!
良く知られている話である!
当時は長男が後を継ぐとは限らなかった!
母親の出自が物を言った! 源氏も嫡庶にかかわらずに決まっている!
不満も残っている?  が東国は力の世界である!
正義あるところに力はなく、力あるところに正義はある!
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時代は、天皇の母方が実験を握る摂関政治から、父方が権力を握る院政が開始されている!
この対立に、源氏も平氏も巻き込まれる?
前九年の役から後三年の役になる!
清原一族である!
これに藤原清衡が勝利する。
が義家も苦戦しているのが京に伝わる。
弟、新羅三郎義光が救援に来る!
勝つには勝ったが恩賞も無く、私財をはたいて恩賞を与えた!! 
付いていきたくなる将である!
摂関家についていた源氏は、白河院政で不利になる!
代わりに平氏が台頭している!
白河院の 「朕の意の如くならざるもの、加茂川の水と賽の目、僧兵の強訴」
いろいろ策謀された様だ!
義家の長男は早くに死に、次男義親、三男義国と問題の多い息子が残り、両息を追討しなければならないときに義家は死ぬ!
次男は西国で、三男は常陸で私闘を起している??
義家一代で、三男だった頼信系が源家の敵流である事を世人に知らしめることになる!!
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二章 源家の内紛
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八幡太郎義家、賀茂次郎義綱、新羅三郎義光、当時としては珍しい同腹の兄弟である!
三兄弟それぞれに名前がある。
加茂神社の前で元服したので加茂次郎と名乗った。 当然次男である!
義家の四男義忠が惣領を継いだが殺される。 なれる立場にいなかった??
あくまで繋ぎである!!
この犯人は義綱と言われる! (違ったようだ!)
義綱追討は義忠の養嗣子の為義に命じられる。 義家の次男、義親の息子である!
骨肉の争いである!
息子たちは自害したが、義綱は未練たらしく生き残っている?
がほぼ断絶している!
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三男が新羅三郎義光 新羅大明神の社檀の前で元服している。
義忠暗殺の黒幕である。 惣領を目論んだ様だ! 源氏は三男でも惣領になれる??
周到に奸謀を尽くしたようだ! 暗殺を命じた犯人を殺している?
この事件も著者は白河院の影がちらつくと??
がこの義光系が最も源氏で栄えたようだ??
常陸佐竹、近江山本、甲斐武田、信濃小笠原ら全国に義光流がいる!
惣領の地位を望む力はある!
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三章 甲斐源氏の興隆と内紛
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甲斐武田党の成立。
一条、 甘利、板垣ら多くの子孫がいる。
が力あるところは警戒される??
頼朝挙兵時は、甲斐源氏の方が力があったようだ!
そして陰湿に頼朝の大勢力に対する陰謀が発せられる!
武田党は自立しかねないし、木曽と手を結ぶ可能性もあった!
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一條次郎忠頼が頼朝の面前で誅殺される。
ここも武田の内部事情がある。
梶原景時が失脚した時、武田有義を次期将軍に擁立しようとした??
この陰謀は本当かどうかは分かっていないようだが、末弟信光が密告し、有義は行方不明になる!
信光が武田家を継ぐ。 16代後が武田信玄である!!
頼朝は大勢力、武田の勢力を割こうとしたようだ! 武田だけでは無いようだが………
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四章 甲斐源氏の地方分散
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この系統からも、穴山、油川、勝沼、望月、三好らの名前がある。
三好長慶である。
安芸武田、若狭武田がある。
安芸武田は毛利と戦って敗れる!
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武家礼法の小笠原流がある。 はじめは弓芸馬術を教えていたが、行儀作法も教えるようになった!
そちらの方が有名である??
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江戸時代の大名の配置。
義光流は、秋田佐竹、盛岡南部、とあり、小笠原氏が小禄が多いが、全国にまたがっている!
最後に平賀朝雅の名前がある。
時政、牧の方の陰謀で将軍に推戴されようとした?
こうなると、ライバルは殺さなければならいと感じるが………
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