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2017年7月20日 (木)

エストニアについて

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チョット驚いたが漢字表記ある。 『愛沙尼亜』 エストニア!
あっても不思議ではないが………  人口は1,340,000人。 スコットランドより少ない!!
エストニアのサク市と長野県佐久市は、平成10年より相互に交流を続けており、平成19年には友好都市協定を結んでいる。
語呂合わせの友好都市なのか??
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なんとなくフィンランドの国旗の色合いが感じられる。
青はエストニアの空・川・湖・海を表しており、エストニアの国民を象徴するとともに希望・友情・団結を表す。
黒は故郷の大地と同時に暗黒時代の悲しい歴史を忘れまいとする決意を示す。
白は氷と雪および人々の幸福の追求を意味する。
2001年には三色旗からスカンジナビア十字のデザインに変更するように提案された。
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現在のエストニアの地に元々居住していたエストニア族と、外から来た東スラヴ人、ノルマン人等との混血の過程を経て、10世紀までには現在のエストニア民族が形成されていった。
13世紀以降、デンマークそしてドイツ騎士団がこの地に進出して以降、エストニアはその影響力を得て、タリンがハンザ同盟に加盟し海上交易で栄えた。ただし、その後もスウェーデン、ロシア帝国と外国勢力に支配されてきた。
1917年のロシア革命でロシア帝国が崩壊したのち自治獲得の動きが高まり、まもなく独立運動へと転じた。1918年2月24日にエストニア第一共和国の独立を宣言、その後はソビエト連邦やドイツの軍事介入を撃退して独立を確定させた。
1940年にソビエト連邦に占領され、独ソ戦で1941年から1944年まではナチス・ドイツに占領されたが、1944年にはソ連軍に再占領され、ソ連に併合された。
ソ連崩壊直前の1991年に独立回復を宣言し、同年には国際連合にも加盟した
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2007年4月27日、タリン解放者の記念碑撤去事件を機に「青銅の夜」と呼ばれるロシア系住民による暴動がタリンで起こり、ロシアとの関係が悪化した。
同時にロシアから、世界初の大規模なサイバー攻撃(DDoS攻撃)が行われエストニアのネット機能が麻痺した。
これを機に、翌年2008年、NATOのサイバーテロ防衛機関であるNATOサイバー防衛協力センターがタリンに創設された。
ソ連とナチスドイツによる占領と抑圧を受けた経緯から「鎌と槌」と「鉤十字」の使用と掲揚は、2007年施行の法律で禁止されている。
旧領土について一切譲歩しないという姿勢のロシアと、ソ連時代の国境線に従って両国国境を画定する条約に調印した。
日本はひつこいとロシアに思われている??
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IT技術が進んでいる!!
治安も良さそうである。 アジア人があまりいないようだ。
北の国なので、こういう国はたいがい国土が美しい!
ついでに言うと、美人が多い!! 混血のせいもあるのか??
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